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RARA Newsletter vol.1 (転載)

2024 / 01 / 12

2024 / 01 / 12

RARA Newsletter vol.1
文化人類学者の視点を身につける意義とは
──小川さやか教授インタビュー

(2023年12月に登録者にメールでお届けしたNewsletterを転載したものです。Newsletterへの配信登録はこちらから

 

みなさま、こんにちは。年の暮れ、ご多忙な日々をお過ごしのことと存じます。ようやく冷え込んでまいりましたが、お元気でお過ごしでしょうか。立命館先進研究アカデミー(RARA)から、Newsletter vol.1をお届けいたします。

前回のNewsletter vol.0では、立命館大学とRARAのビジョンをご紹介し、第1回シンポジウムのお知らせをいたしました。

 

シンポジウムはZoom中継で一般公開します。現在、参加申し込みを受付中です。https://rararits01.peatix.com/

 

 


RARAフェロー 小川さやか教授に迫る

 

RARAはフロントランナーとなる教授陣を「RARAフェロー」として任命し、研究環境の整備をはかっています。

これまで16名のRARAフェローが未来を切り開く先進的研究者として、研究活動と成果発信を進めています。

 

 

今回のNewsletterでは、RARAフェローであり、第1回シンポジウムにも登壇する小川さやか教授に焦点を当てます。最近の活動や最新のトピック、シンポジウムへの期待などについて、インタビュー形式でお届けします。

 

(以下 小川教授談)

 

私たちが文化人類学的な視点を持つべき理由

 

文化人類学は、現地の人びとの暮らしに深く関わりながら、異なる世界のありようを理解し、それを理論化することを目指す営みです。いかに奇異に思える慣わしでも、自分自身の常識や価値観をひとまず「カッコ」に入れ、現地の人びとのやり方を「身体化」していくことで、そこに異なる論理や合理性があることを体験的に理解する学問です。

エスノグラフィ(民族誌)とはある民族を調査するために人類学者がその民族の生活に入り込み、長期間にわたって彼らの生活スタイルを観察、対話して詳細を記録し、現地でさまざまな困難にぶつかりながら、身体を通じて理解した内容を理論的に考察したものです。

私たちは全く異なる背景を持っています。異なる文化に触れた時に、一度自分の常識や正義、倫理を捨てて、彼ら彼女らのロジックやこだわり、感情などを理解しようとすることには意味があります。

例えば、一夫多妻制社会を見たときに、「ジェンダー差別があるのだろう」「男尊女卑的であるに違いない」といった視点で入っていくと、もうそういうふうにしか見えなくなってしまうんですね。

しかし、実際に文化人類学者として一夫多妻制の家族の中で暮らしてみると、「水汲みだけで往復1時間もかかる」とか「私、洗濯に何時間かかってるのだろう」といった感じで、朝から晩まで働いてもなかなか休む暇がないことに気づきます。一夫多妻制では、家族や女性たちが分担して炊事当番をしたり、女性たちが交互にお休みの日を設けることができるといった、彼ら彼女らにとっての合理性もあることがわかります。

男女差別じゃないか、男尊女卑じゃないか、年配の男性に嫁ぐなんて不幸だ、といった前提や見方をいったん「カッコ」に入れて、自分たちを縛っているものから距離をとってみると、視野が開けることがあります。

「この社会以外はどうでもいい」「これが最先端なんだ」と思っていると、そこで閉じてしまうのですが、もし何か行き詰まったり、うまくいかないことがあった時に、多様な社会のあり方や考え方を上手に取り入れてみると、自身の考え方を相対化できますよね。

 

マルチモーダルなエスノグラフィの可能性を追求して

 

21世紀になり、動画や画像、音声などをハイパーリンクで埋め込んだ「デジタルエスノグラフィ」が興隆し、多感覚的(マルチモーダル)なエスノグラフィの可能性が拡大してきました。

私が進めているプロジェクトでは、動画や音声に加えてシリアスゲームを用いて、一般の人びとが文化人類学者の目線になり、異なる世界の論理を学んでいく体験型の3Dエスノグラフィを開発することを目的としています。

RARA初年度の2022年度は、実験的な方法論や先行例を集め、映像人類学や科学技術論、デザイン人類学などの研究者と研究会を組織し、方法論を探究しました。それにより、多様な世界への想像力を引き出すエスノグラフィとは何かが見えてきました。

また「WIRED COFERENCE 2022」に参加し、企業活動への人類学の思考法や方法論について講演や討論を行ったところ、様々な企業活動への応用可能性も見えてきました。

 

タンザニアの商人の知恵を体感できるゲームを開発中

 

私が博士論文を元に出版した著書があります。『都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌―』(2011年、世界文化社)です。

いま、この本に出てくる商交渉の場面をシリアスゲームにしようと取り組んでいるところです。プレーヤーが文化人類学者となって、タンザニアの商人たちがいかに知恵を駆使し、独自のシステムを作りながら社会を渡り合っていくのかを体験するゲームです。

例えば、平均的な販売価格として1枚1150円のTシャツがあるとします。定価販売のない路上商売の商人たちは、お金持ちの人には2000円で売ったり、貧しい人には500円で売ったりするんです。足して半分に割ると1250円になるので、平均価格よりは高く売れたことになります。物の値段が、それぞれの人の状況に応じて変化するんですね。

 

現地でジーンズを売る小川フェロー

 

興味深いのは、その交渉過程でみんなが嘘をつくわけです。お金持ちそうに見える人たちは学費が高いとか、親戚が亡くなったなどと訴え、貧しい人は昨日から何も食べていないといったことを涙ながらに訴えます。でも実は、ほとんどが嘘なんです。

ゲームではそのような状況で、話の真偽を見極めながら、ものをいくらで売るかという体験をしてもらうんです。簡単そうに見える路上商売が、人格的な駆け引きと知恵を駆使しないと成り立たないということを実感する。そんなミニゲームを作ることに、直近では取り組んでいます。
国内では経済的、地政学的にアフリカ諸国があまり重要じゃないように扱われることが多いですが、今、改めて地球全体の視点で多様な課題を考えなければいけないと思います。

タンザニアの人たちの思考や行動についていかに論理で説明しても、遠い日本からは「自分には関係ないことだ」と思われがちですが、人類学者の視点でゲーミフィケーションとして体験してもらうことで、異なる社会や文化、生活、マーケットについて理解するきっかけになると考えています。

 

新品マチンガ(服を売り歩く商人)たちと

 

領域横断で事例研究を統合モデル化

 

RARAの第1回シンポジウムのテーマにもつながる話として、立命館グローバル・イノベーション研究機構(R-GIRO)で私は、「人類史的にみた災害・食糧危機に対するレジリエンス強化のための学際的研究拠点」というプロジェクトの代表をしています。

はるか昔から現在、未来に至る長いタイムラインで、分野も気候学から地理学、歴史学、情報工学、経営工学など異分野融合型で、幅広い研究者が参画しています。先日、シンポジウムを行いましたが、大変、実りのあるものでした。

例えば災害の際に、インフラ技術がどう維持・変容してきたか、また歴史的な知見として、災害が起こったときに権力がどのように対応してきたか、インフラにどのような影響を与えるかなど、複雑な要素が影響し合う様子を、数学を使って図式的に統合することができました。領域を横断した事例研究のモデル化が可能になるんです。時代や場所により問題設定が異なる中で、各事例が、社会においてどのような影響があるかを示すことができ、議論を俯瞰的に深化させることができます。私が取り組んでいるシリアスゲームもその一環です。

すでに国連の防災機関が開発した、災害を学ぶシミュレーションゲームや、国連世界食糧計画による、支援活動のチームの立場でプレイするゲームなどがありますが、これらのゲームは正解が決まっており、画一的で、地域の文化の違いが反映されていません。

そこで人類学者や歴史学者の視点を踏まえることで、地域の論理や知恵、社会関係の特質まで掘り下げた歴史ゲームを作ることができる可能性を感じました。年月を超えて、人間の多様性などをもとに、深い思考を体験できる教育用・啓発用のゲームを作ることが一つの夢です。

 

人類としての問いに向き合う重要性

 

AIを含む新しいテクノロジーの開発には期待していますが、一方で、テクノロジーの進展には疑問も抱いています。全世界の多様性が画一化されてしまう可能性があるためです。

私たちが立ち向かうべき課題は多岐にわたります。テクノロジーや科学技術的な解決策はもちろん重要ですが、人間はそれだけでは納得しないと思います。人間や社会を見る視点が多様であればあるほど、便利で画一的なシステムで対応することがどれだけ難しいかということがわかります。

それぞれの社会において深刻な問題がたくさんあり、テクノロジーだけでは太刀打ちできない。知恵や文化、人間性などの解決策も重要です。

危機に対するレジリエンスを考える上では、文化や社会、自然環境だけでなく総合的に、学際的に考えることが必要です。

人間は単に生存するというだけではなく、育んできた知恵や文化、人間性をもとにした関わりのなかで幸せを感じています。未来のテクノロジーと共に、どのような社会を築いていくか、人類としての問いに真摯に向き合う必要があると思います。

 

多様な価値観や生き方を発掘する意義とは──RARAシンポジウムへの問い

 

 

2024年1月25日のRARA第1回シンポジウムでは、歴史学者の本郷和人先生と対話をすることになりました。私たちは人間として本当に幸せな生き方ができているのかどうか、また歴史的な「生きづらさ」の転換点、全世界の多様性が損なわれているのではないかといったテーマについて本郷先生と話し合うのが楽しみです。

一つの限定的な生き方や社会のあり方、システムだけに固執することは、非常に脆弱なことだと感じています。

どんな社会においても人々の生きづらさはなくならないと思っていますが、「他にもさまざまな選択肢やアプローチがある」ということを前提に、試行錯誤しながら進んでいくことが大切だと思っています。何かがうまくいかなかったときに、それ以外の方法や考え方に触れることが、未来を構想する一つの手立てになると考えています。

近年、ウクライナ戦争やパレスチナ戦争を受けて、戦争や戦いのあり方がクローズアップされています。日本国内でも、戦国時代や江戸時代などを比べると、戦争の定義や、当時の人々のあり方が異なることが興味深いです。また人と人が戦うという定義がどれだけ地域によって異なるか、その感性がなぜ違うのかといった点も考えていければと思います。

私は講演などをすると、時々、日本人は集団主義的で欧米人は個人主義的だといったステレオタイプ的な文化の違いに則した質問を受けるのですが、歴史を振り返ると日本人や日本社会も時代によってずいぶん異なりますよね。「日本人は〇〇だ」「日本の文化は××だ」といった本質主義的な理解はともすると、他者理解だけでなく、私たち自身の可能性を自ら縛る規範になってしまいます。

シンポジウムを通して本郷先生が歴史学の知見からどのように現代を生きる私たちを「逆照射」しているのかをお聞きできればと思います。私たちにとって多様な社会や生き方を発掘することの意義を、改めて学際的に伝えていきたいと思っています。

私がマルチモーダルエスノグラフィを作りたい理由の一つは、研究者であっても分野を超えて対話することが重要だと思っているからです。文化人類学者として、RARAフェローとして、私はぜひこれからもさまざまな方々とディスカッションを重ね、それを共有していきたいと考えています。

教科書や本、論文は文化人類学に理論的な貢献をするうえで価値がありますが、異なる分野の研究者との化学反応や、社会や実務の視点からの対話は重要なことです。私は対話のプラットフォームのようなものを作りたいとも考えています。様々な分野の研究者が共通の目的のもとで連携し、対話しながら共に取り組む試みに参加してくれる方を募りたいと思っています。

 


小川さやかフェローが登壇する第1回RARAシンポジウムの参加申し込みはこちらで受付中です。(Zoom中継、事前申し込み制)
https://rararits01.peatix.com/【締切:1月22日(月)】
第1回RARA主催シンポジウム
テーマ:地球危機の時代に、どう挑むべきか──異分野をつなぐ「総合知」を目指して日時:2024年1月25日 14:00~16:00(13:45よりオンライン接続開始)
対象:研究者・学生・一般のみなさま
参加費:無料

 

それでは、また次回のNewsletterでお会いしましょう。みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。

(2023年12月28日配信)

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