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RARA Newsletter vol.4 (転載)

2024 / 04 / 12

2024 / 04 / 12

RARA Newsletter vol.4
現代社会で見失われがちな「不定性」。その価値を解明し伝えたい
──布山美慕アソシエイトフェローインタビュー

 

(2024年3月に登録者にメールでお届けしたNewsletterを転載したものです。Newsletterへの配信登録はこちらから

 

春の日差しがきらめく頃となりました。年度末となり、慌ただしい日々をお過ごしのことと存じます。立命館先進研究アカデミー(RARA)より、Newsletter vol.4をお届けいたします。

「次世代研究大学」を掲げる立命館大学では、さらなる研究高度化を牽引する仕掛けとしてRARAを設立。先進的な研究者である教授陣を「RARAフェロー」として、またRARAフェローへのステップアップに向けて実績を積み重ねる「RARAアソシエイトフェロー」として任命し、研究活動と成果発信を進めています。

このたび、2024年度の新RARAフェロー・RARAアソシエイトフェローを決定いたしました。4月1日に就任予定です。一人ひとりが掲げる研究目標やキャリアに応じた最適な研究支援を行ってまいります。

 

◾️新RARAフェロー
赤間亮(文学部・教授)
長谷川知子(理工学部・准教授)
前田大光(生命科学部・教授)
三原久明(生命科学部・教授)
山末英嗣(理工学部・教授)
Philip J. Atherton (School of Medicine, University of Nottingham / Professor)

 

◾️新RARAアソシエイトフェロー
石水毅(生命科学部・教授)
後藤基行(先端総合学術研究科・准教授)
丹波史紀(産業社会学部 ・教授)
布山美慕(文学部 ・准教授)
堀江未来(グローバル教養学部・教授)
山根大輔(理工学部・准教授)

 

 

今回のNewsletterでは、新たにRARAアソシエイトフェローに決定し、4月に就任予定のうちの一人、文学部の布山美慕准教授のインタビューをお届けいたします。

布山アソシエイトフェローの専門は認知科学で、研究テーマは「文学・芸術における不定な認知状態とその効果:不定性の可能性探求と展開」。本テーマにおける「不定性(ふていせい)」とは、認知の状態が(値としては)はっきりしないことを指します。

解釈の不定性についての研究は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(CREST※)に採択され、海外大学の研究者も含めて共同研究を進めています。

「コスパ(コストパフォーマンス)」や「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉が多用される現代、とにかく定まっていることやわかりやすいことが良しとされがちですが、布山アソシエイトフェローは、定まらなさをもつ状態=「不定性」の可能性について研究しています。

布山アソシエイトフェローはなぜこのテーマに取り組むようになったのでしょうか。不定性をもつ状態とはどんな状態で、どんな文章や芸術作品から生まれ、どのような主観的体験をもたらすのでしょうか。自身のキャリアや、量子論的アプローチの可能性などについても話が及びました。

 

※CREST:国が定める戦略目標の達成に向けて、独創的で国際的に高い水準の基礎研究を推進し、今後の科学技術イノベーションに大きく貢献するような、卓越した研究成果を創出することを目的としたチーム型研究。

 

(以下、布山先生の話からライターが構成しました)

 

 

「定まらなさ」が美的体験や創造性を生む?

 

現代では、コスパやタイパという言葉に代表されるように、「すぐ決める」とか「すぐ検索して理解したい」といった価値観が広がっているように思います。私の研究はその逆で、「決めない」とか「わからない」とか、そういった「定まらなさ」の可能性に注目することによって、新たな人間観を探求したいというものです。

わかりやすい一例としてよく挙げているのが、私の好きな川上弘美の小説『真鶴』で、主人公が亡くなった夫と会うシーンです。死んだはずの夫から「こちらに来る?」と聞かれて、主人公は、「いきたい」と答えるんですね。

「(そちらに)行きたい」という捉え方をすれば「死にたい」という意味になり、一方で「生きたい」、つまり生きていたいという意味ともとれます。正反対の意味のダブルミーニングになっていて、主人公がどちらの意味で「いきたい」と言ったのかが読者もわからないまま読み進めることになります。

捉え方が定まらないからこそ生まれる固有の美的体験が、没入感を生み出すと私は思っています。こういった「不定性」がもたらす体験は人文系の研究では古くから研究されてきました。

現代社会やビジネスにおいては、意思決定や問題解決が素早くできる能力が評価されますが、一方で近年、英国の詩人、ジョン・キーツが生み出した「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念が注目されています。キーツは、シェークスピアの創造性について考えるなかで「人が、事実や理性などをいらだたしく追求しないで、不確定、神秘、疑惑の状態にとどまっていられる(p.65)」(Keats, 1817/1891 佐藤訳 1952)能力をネガティブ・ケイパビリティとし、これが創造性の根元にあるのではないか、と考えました。

他にも、ウンベルト・エーコの「解釈のひらかれ」やヴォルフガング・イーザーの「読書の現象学」の研究などによって、小説や現代芸術において、作品の中に読者・鑑賞者側の解釈に開かれている部分があり、必ずしも全部決まっていないということこそが美的体験や没入感を生むのではないかという指摘がされてきました。

 

 

「不定性」の価値を科学的に解明したい

 

認知におけるこの意味の「不定性」は、人文系では注目されてきた概念ですが、科学的にはあまり検証されてきませんでした。現代社会の中で「不定性」の価値が見失われつつあるいま、そのメカニズムや可能性を認知科学・神経科学・数学の学際研究によって科学的に解明していきたいというのが私のテーマです。

具体的な目的としては、文学や芸術の理解における「不定性」のある認知状態を説明し、促進できるようにすることです。

仮説として、常に短期的に「わかる」「定まる」といった状態を続けていると、局所的な最適化や短期的な理解しか得られないのですが、「わからなさ」にあるところまで耐える、あるいはその「わからない」状態を楽しむことによって、初めて大きな理解が生まれたり、創造性が促されたりするということを示したいと思っています。

さらに先ほどのエーコやイーザーは没入感や美的感覚が「不定性」(「開かれ」や「空所」)から生まれるのではないかという指摘があります。もし本当にそうであれば、バーチャルリアリティ(VR)に「不定性」を実装することによって、現実世界の美的感覚を効果的に増進することができるのではないかと考えています。我々の研究の先に、そんな世界を描いています。

 

 

古典確率論から量子確率論へ

 

ここまでは人文系の研究の要素が強いのですが、我々はその解明にあたって「量子認知」という枠組みを使おうとしています。認知科学とは、情報処理という観点から、人の知の働きや性質を理解しようとしてはじまった学問です。量子認知と言うと、物理の領域のように感じられるかもしれませんが、「量子確率論(非可換確率論)」という数学を使った認知研究のことを指しています。

多くの既存の認知研究では、「古典確率論」に基づいてモデリングを行うのですが、古典確率論は量子確率論に含まれるより狭い確率論であり、説明できない認知現象があることが知られています。

 

古典確率論を用いた解釈性の高い意味空間モデルの一例である、単語をベクトルにする「Word2Vec」(Word to Vector)。ベクトル空間上で「女」という単語と、「王」という単語をベクトルで表して、足すと「女王」になる。一方で、古典確率論では説明できない「グッピー効果」。典型例が犬などのペットと典型例がマグロのような魚を組み合わせると、観賞魚となるが、観賞魚の典型例であるグッピーは犬や魚それぞれの例としては上位にない。こういった現象は「創発的な概念合成」と言われているが、ベクトル空間による意味空間モデルではグッピー効果は説明できない。

 

 

古典確率論のモデルでは説明できない現象を説明するために、量子確率論を用いた認知の数理モデル化を進めています。従来の古典確率論では解明が難しかった認知を自由度高く、より正確に説明したり予測したりできるようになると期待しています。

 

状態空間の一種であるBloch球を例とする表現できる状態の比較。球の地軸部分(左の球の赤い部分)が古典確率論で表現できる状態部分、球の内部を含む全球(右の球の赤い部分)が量子確率論で表現できる状態。複数の解釈を重ね合わせて創発的に解釈できる「重ね合わせ状態」という、古典確率論では表せない特殊な状態を表現できるのが量子確率論。

 

 

この量子確率論でモデル化できる認知状態のことを、「量子認知状態」といい、たとえば単なる複数解釈の足し合わせにとどまらないような「創発的な解釈状態」を量子確率論固有の重ね合わせ状態によってモデル化することが可能ではないかと言われています。中でも私たちは特に、文学や芸術作品に触れた際の「不定性」を持った状態をモデル化しようと考えています。たとえば、「生」と「死」どちらかの解釈に定まらないからこそ生まれる、「生」と「死」の解釈の重ね合わせ状態とその認知効果を理論的・実験的に調べています。

「定まらなさ」でよく知られているものとして「順序効果」があります。有名な例として、「クリントンが正直で信頼できるか」という問いと「ゴアが正直で信頼できるか」という2つの問いを、順番をシャッフルして尋ねる実験をご紹介します。

クリントンの方から聞かれると、ゴアの方から先に尋ねられるよりも、「両者ともあまり信頼できない」と答える人が増えるという結果が出ることが知られています。観測するまで、我々の心は必ずしも定まっていないことがわかります。

 


順序効果の例。世論調査の結果は質問の順序に影響を受けるということがわかる。

 

 

なぜ順序効果が起こるのか、これまで数理的な説明では難しいと考えられていましたが、私たちの共同研究者らなどから、量子確率論によって説明が可能なのではないかとの提案がされてきました。

何か観測をする前に我々の心は決まっていて、何と聞かれようとも答えは決まっている。そういうわけではないんですよね。量子確率論だと、尋ねられる前はまさに不定な状態でありえ、聞かれたときに初めて答えが決まるということが起こりえます。そのため、観測の仕方によって、回答の内容が変わったり、不確実性が明らかになってくるのではないかと言われています。

こういった観測効果は心理学でも注意はされてきましたが、ヒューリスティックやバイアスなどの質的な説明にとどまる研究が多く、その不定性自体への注目は高くはなかったと感じています。

量子確率を用いたこの量子認知の研究は近年、世界で徐々に広がりを見せていて、特に2012年に『Quantum Models of Cognition and Decision』という本が出たあたりから増えています。

 

本書のJerome R. Busemeyer氏とPeter D. Bruza氏の2人の著者は私たちの共同研究にも入ってもらっています。さらに以前から量子認知研究を牽引されているAndrei Khrennikov氏も昨年11月に立命館でワークショップを開いたときにキーノートスピーカーとしてお越しいただきました。今後も継続的に関わっていただく予定です。

 

 


前列中央がPeter D. Bruza氏。中列左から2人目が布山アソシエイトフェロー

 


中央の背の高い男性がAndrei Khrennikov氏。隣が布山アソシエイトフェロー

 

私たちは具体的な目標を3つ立てています。

a) 量子認知状態を惹起する外部刺激とその効果(現実感・没入感・情動)の対応づけ
b) 量子認知状態の観測手法の確立
c) 認知状態の推移・観測の量子確率論によるモデル化

それぞれチームを組んで進めています。まだ確立されていない量子認知状態の観測方法構築、非定常な時間変化を含む量子認知状態を表現できる高度な数理モデル構築、どのような文章や芸術作品が我々を「不定」にするのか、どのような美的体験や没入体験を生むのかを調べる研究、これらを神経科学者・数学者・認知科学者とともに行っていきます。

日本の伝統的な芸術は「不定性」に注目しているものも多いので、将来的にはそういった芸術の認知状態や効果を検討したり、友人の研究者らと人を「不定」にするワークショップをやってみたり、先ほどお話したようにVRやAR技術へ展開してみたりといった様々な構想もあります。人文系では、不定性の中にこそ希望があるのではないかという指摘もあるので、人文系の方々とも一緒に考えていきたいです。

 

 

独自のキャリアが導いた、文学 × 認知科学 × 量子力学のアプローチ

 

私自身は認知科学分野で研究をはじめて以降、文章理解の研究をしています。多くの認知科学や心理学の文章理解の研究は、読者がそれぞれの時点で一番妥当な解釈を常に選んでいるという仮説をもっているんです。

でも、どの時点でも一つの定まった解釈を決めて持っている。そんな前提に立っているのは不自然だという違和感がありました。文章を読んでいるときに、全ての時点で私は一つの解釈を取っているわけではないのではないかと。たとえば、『真鶴』の話のように、「生」と「死」とどちらとも決めない解釈状態がありうる。
しかも、まさに相反した解釈が混じり合うことで美的な体験が生まれているんじゃないかと感じる。そういったことから、それまでのモデルに違和感を持ったのが本研究のきっかけです。

そもそも私のキャリアはやや変わっていて、はじめに京大の理学研究科の物理を修士課程まで修了し、その後3年ほど民間企業で働き、もう一度大阪大の文学研究科 日本学研究室の修士に入り直して、その後認知科学分野に進んでいます。

上のように、認知科学分野で文章理解の研究をしていて違和感を覚えたのには、文学研究科で勉強した解釈学や記号論の知識が背景があるようにも思います。そして、この違和感に対し、量子物理の知識もあったので、「複数の解釈が混ざり合う気がする、古典的な確率の重み付け和ではなくて、もっと量子的な重ね合わせ状態のよう」と感じました。

これを共同研究者に話したところ、海外の量子認知研究を紹介してもらい、いまの研究にたどり着いたのです。2018年ごろから構想し、2020年から研究として取り組んでいます。

学生と接していると、「必ず1つの決まった答えがあるはずだ」「検索や生成AIに聞けばわかるはずだ」「悩むことなく決めてしまいたい」という思いを感じます。私は「決めない」「定まらない」状態でも面白いことがあるというメッセージを発信していけたらと思っています。

例えば「隙間時間」は誰にでもあると思います。隙間時間をつぶして効率的なことをしなければと思いがちですが、ぜひそれを「不定」な時間にしてみませんか。ぼーっとしたり、綺麗なものを見てみたり、役に立つかわからないようなことに時間を使ってみたり。そうすると、「不定性」の魅力に触れられるのではないかなと思います。

私自身のキャリアも文理を跨いで回り道をしているようなのですが、何の役に立つかわからないことが長期的に役に立つことがあると感じます。民間企業に就職した時は2度と物理の世界には戻らないと思っていたのですが、10年後に、あれ、これ、もしかして……と物理に関連する知識が研究の発想に繋がりました。

むしろいま、役に立つことばかりやっていると、いまは役に立たなくてもいつか不意に役に立つといった広がりが生まれなくなります。隙間時間でもいいので、役に立つかどうかわからないことを経験しておくと、それ自体が楽しく没入感や美的体験を味わえることがあったり、そのうち新しい何かに繋がったりすることがあると思います。そういった「不定性」の魅力をまずは明らかにし、今後、不定性に注目する研究が増えるといいなと思っています。

 

 

RARAやCRESTを通じて、多様な研究者とともに発信したい

 

今後、学会誌の特集や国際ワークショップの開催など他の研究者とのコラボレーションも含めて、さまざまな発信を行っていく予定です。

たとえば、ムーンショット型研究開発事業で逆境をテーマに研究されている量子科学技術研究開発機構の山田真希子さんと、不定性と逆境の関係性について共同研究や学会誌での特集企画を進めています。逆境というある種苦しい状況で不定性が価値を発揮するのではないかと考えていて、不定性の中に希望を見出す多分野と連携した一つの展開になると期待しています。

CRESTに採択されたことで関連領域の方にも少しずつ関心を持っていただいていますが、量子認知という分野はまだ国内ではあまり盛んではありません。文系の方を中心に「不定性」の話自体は面白がってもらえますが、量子確率となるとどうしてもハードルが高く感じられてしまいます。しっかり発信、コミュニケーションして研究者以外の方を含め、関心のある方を増やしていきたいです。

RARAでは自分と違う分野やスタイルを持つ先生方と関わり合えるのが面白いと思っています。産学連携や教育や研究を、それぞれいろんな比率で取り組んでおられる先生方がいて、他の先生方が何を考えているのか、どうやって研究を進めておられるのかを学び、分野を超えてともに発信していけたら嬉しいです。

 

RARAでは今後も様々な形でRARAフェロー・アソシエイトフェローの取り組みや成果を発信していきます。

それでは、また次回のNewsletterでお会いしましょう。RARA Newsletterに対するご意見・ご感想はこちらまで。
浅春の折、くれぐれもお身体にお気を付けください。

(2024年3月25日配信)

 


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